土曜日, 11月 26, 2005

Intel VS AMD(1)

1980年代に米国Intel社が「4004」というCPUを発表して以来Intelは常にCPU市場を独占してきた。
そして、Intelは自社工場だけでなくAMDという会社の工場でも同社製品を製造してきた(セカンドソース)。
Intelは1969年、日本計算機販売社に4004(0.1MHz)を供給して以来
72年 4040、8008 74年 8080 76年 8085(3MHz) 
78年 8086 (5~10MHz) 8088
82年 (80186)、80286(6~12MHz)
と様々なCPUを販売した。
そしてついに85年、現在使われているものと同じ「32Bit」式のプロセッサを発表することとなった。
世の中が32Bitに移行することによってこれまでとは段違いな処理能力とわれわれ人間をはるかに超えた演算能力で新時代を切り拓くと思われた。
ところがIntelは何を思ったのかAMDとのセカンドソースを中止した。
CPU市場はもはや膨大に成長しており、AMDとしてはこのまま倒産するわけには行かなかった。
85年 Intel i386DX/SX 発表(16~33MHz)
AMDは調停訴訟を起こし、またIntelのマイクロコードを使用するクロスライセンス契約は95年まで続いているので急遽80286の高クロック版(16及び20MHz)を投入

89年 Intel i486SX/DX 発表(25MHZ/33MHz)
キャッシュ・ソケットの採用、FPUを内蔵した。
とくにキャッシュの搭載は衝撃が大きく、L1キャッシュにデータを置いておき、データの読み出し待ち時間を大幅に軽減するという新たなテクノロジにより、クロック(~MHz)あたりの処理能力が大幅に向上した。

そのころAMDは80286を独自に高機能化し
90年、Am80C287を投入-その間もIntel i386互換CPUの開発に急ぎ夏には「Am386」を何とか出荷できた。
そしてAm486DX/SX を開発。(40MHz)
これらを合計すると売り上げは100万個に達しIntelのi386単体同等の売り上げにまではこぎつけた。

91年 Intel i486DXの50MHz版発表
IntelはAMDのAm486DX/SXという486CPUに対して訴訟を吹っかけAMDは486CPUを出荷することができなくなり、AMDは急速に衰退する386系プロセッサ市場に取り残されていた。

93年 Intel Pentiumの発表 (66MHz~200MHz)

Intelは第5世代CPU「Pentium」の発表にあたり衰退をはじめるであろう486系プロセッサの生産をAMDに許可した。

ところがPentiumは外部バスが64Bitごとの通信に切り替わり、またL1キャッシュの倍増、クロックの倍増により高価格化し、また周辺機器が対応しなかったため依然市場では486系プロセッサ市場が泥沼へと進んでいくのである...

94年 Intel i486DX4の発表 (100MHz)(L1キャッシュ16KB)
95年 AMD Am486DX4の投入(120MHz)(L1キャッシュ8KB)
            Am5×86の投入(133MHz)(L1キャッシュ8KB)

AMDのAm5×86は75MHz程度のPentiumと同じ性能だったが486系のプロセッサの中ではもっともクロックが高かったので比較的人気だった。
しかし、そうしている間にもAMDはPentium互換プロセッサを、Intelは次世代Pentiumの開発を社内では進めていた。

95年 Intel PentiumProの発表(200MHz)(L2キャッシュ1000KB)

PentiumProは32Bitコードの処理に特化したのでWin95や98など、16Bitコードの残されている当時のOSはPentiumより低速で動き、大容量のL2キャッシュにより高価格化したので
ALL32BitコードのWindowsNTを採用している企業サーバでは圧倒的な性能を発揮したが、一般向けには成功したとはとてもいえない売り上げだった。

これによってIntelはPentiumの高クロック版を投入し続け、弟6世代CPUへの移行は一般市場では夢となって消えてしまった。
これによって縮小しつつある486系プロセッサ市場に取り残されていたAMDはいよいよPentium互換製品の発表を急いだ。
しかしこれと同時にIntelがハイスペック-サーバ市場を独占してしまったとも言える。

96年 AMD 5k86を発表。(100MHz)
しかし当時Intel Pentiumは200MHzクラスまで発表されており5k86は時代遅れのCPUとなった。
同96年 AMD K5 発表(PR 150){PRとは同じ性能のPentiumのクロック周波数}
K5も5k86時と同様に低機能だと評価され全く普及できなかった。

97年 Intel MMX Pentium発売(233MHz)
MMX Pentiumはインターネットなどマルチメディア関係に特化した「MMX」拡張命令を実装し、マルチメディア関連の処理が非常に高速化した。

97年 AMD K6を発表。(160~300MHz)
MMX Pentium互換の「K6」をAMDは発表した。
当時MMX Pentiumの最高クロックが200MHzだったので一瞬Intelを越えた最高クロックにAMD CPUが輝いた。
97年 Intel PentiumⅡ発表(266~450MHz)
PentiumⅡは圧倒的クロックでハイエンド市場を制覇し、
Intel PentiumⅡ Xeon(400、450MHz)(L2キャッシュ2MB)
をハイエンド企業サーバ向けに販売。一気にハイエンドCPU市場をIntelが占めていき、同時に開拓もした。{通常のPentiumⅡは233,266,300,350,400,450MHzがラインナップ}

しかし当時人気だったのは「10万円パソコン」というローエンドPCで、それらには高機能且つPentiumより低価格なAMD K6が多く採用された。
それによりハイスペックCPUではほとんど売り上げられなくなりIntelはMMX Pentiumの価格を下げK6に対抗したものの、AMDがK6-2とK6-Ⅲの概要をデベロッパー向けに公開し、いよいよMMX Pentiumが性能面で追いつかれるのは時間の問題だった。
そこでIntelはPentiumⅡの上位クロック版を公開、ハイエンド向けCPUはIntel一色で固められた。

そして
Intel:98年 Celeronを発表(300MHz)
AMD :98年 K6-2  を発表(266~500MHz)

IntelのCeleronはPentiumⅡからL2キャッシュを取り除き大きく価格を値下げできるようにした。
しかしL2キャッシュの減少によるスペックの低下はあまりにも大き過ぎ、全くシェア獲得には至らなかった。
AMDのK6Ⅱは内部的に様々な改良を加え、更に拡張命令「3D Now!」をMMXに加えた。

98年 Intel MendocinoコアのCeloronを発表(300~500MHz)
L2キャッシュを追加し、いよいよIntelはローエンドにおいてもK6Ⅱを上回り、徐々にローエンド市場にまでIntelプロセッサのシェアは手を伸ばしてきた。

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