月曜日, 12月 05, 2005

AMD とIntelの関係変化-2005

元々IntelはコンピュータのCPU市場とチップセット市場を独占していました。
そしてAMDはIntelCPUの 
生産を一部肩代わりしていましたがIntelがI386 DXというCPUを発売したときに突然AMDに契約の中止を要求しました。
ところがAMDとIntelの間にはIntelのマイクロコードを無償でAMDが使用する「クロスライセンス」契約をIntelは中止するのを忘れていたためAMDはIntelの互換CPUを生産することが出来ましたのでAMDは徐々にCPU業界におけるシェアを伸ばしていきました。
ところが95年、クロスライセンス契約が切れ、当時のIntelの主力CPUである「I486」シリーズの互換品を生産する許可をAMDをはじめとする互換各社に与えませんでしたのでAMDは急速に縮小する386市場でもがき苦しみ、386の高クロック版で延命を図りました。
そしてIntelがPentiumという第五世代CPUを開発し、時代遅れになると思われた486互換CPUの製造を許可しました。ところがこれが失敗し、486市場は泥沼化しました。
その後もAMDは独自開発のCPUを製造し、何とかIntelについていきましたがIntelがPentiumIIIを発表したときいよいよAMD破滅かと思われたが(実際赤字決算となる)その危機も「Athlon」CPUを発表し一気に世界最速の座に着き、その後は技術的にもAMDとIntelが拮抗する状態が2,3年続きました。
ところがIntelは圧倒的なシェアがあり、開発予算がAMDとは桁違いでした。そしてその莫大な開発予算でAMDと拮抗する技術力を支えているので、技術力が拮抗していた2,3年徐々にAMDがIntelのシェアを侵食していきました。
つまりAMDの開発費が増えてきたのです。そしてついにOpteronという次世代CPUを開発し、一気にハイエンド市場でAMDが技術においてIntelを凌駕し、それを受けてシェアにおいてもAMDが頭角を現し多くの企業がIntelだけでなくAMDシステムも売り出し始めました。
つまり2005年においてIntelは宣伝力が優れていて(資金が豊富なため)
          AMDは技術力が優れている、という構図になりました。

ではここまでの流れを理解してもらえたなら、今回の本題に入ります。

<AMDは商用市場のシェアが10~20%、Intelは7~80%ですがAMDは2009年までに30%にすると掲げている。>

ところがHewlett-PackardがAMD PCの販売を開始し、またOpteronサーバの普及とともにその他のAMD製品も2005年に入ってよく売れてきた。
またAMDはIntelがhtテクノロジのPentium4を発売した初期からすでに64Bitの「Athlon64」及びその上位版の「Athlon64-FX」シリーズを発売してきているので、2006年にVistaが発売する際、
「信頼できるプロセッサ」としてAMDが一般のコンシューマからも選ばれる可能性は高い。

なによりも米国の小売市場でIntelのシェア(48%)をAMDのシェア(49%)が追い抜き、更にその傾向が加速しつつあるのは紛れも無い事実だと思う。
そこで頑なにAMDシステムを組もうとしないDellにも、いつか限界がやってくるのではないだろうか?

因みにAMDに関する情報は
こちら
を参照してほしいです。

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